エピソード
- EPISODE

企業の隠れた英雄

優れたNo.2が存在し、創業社長を支え、企業の成長に寄与したケースは多々あります。このような役割はしばしば「女房役」とも呼ばれ、企業の成功において極めて重要な役割を果たします。大きな目標を達成するには一人では不可能であり、常に優れた仲間やパートナーが必要です。世界中の企業には、このようなパートナーシップの素晴らしい例がたくさんあります。

本田技研工業

藤沢 武夫

日本で最も著名なNo.2の一人として知られるのが、藤沢武夫氏です。本田宗一郎とともに、有名企業のホンダを創り上げた方です。本田氏が技術に秀でた一方で、藤沢氏は経営面で本田氏を支え、本田氏は経営全般を藤沢氏に任せていたとされています。本田氏という天才技術者がホンダという優れた会社を創業し、藤沢氏というNo.2がいたからこそ、世界的な企業へと成長することができたと言われています。
特筆すべきエピソードの一つが、マン島レースへの出場です。経営危機に直面した際、藤沢氏は本田氏をレースの視察に送り出しました。この決断により、本田氏も藤沢氏の器の大きさに感服したとされています。藤沢氏は本田氏の技術者としての素晴らしさを見抜き、何度経営危機が訪れても本田氏に夢を追い続けさせました。ホンダの「世界を夢見て」宣言も、本田氏と藤沢氏の熱い思いが込められています。
また、藤沢氏は職場環境においても世界的な視野を持ち、積極的な改革に取り組んできました。例えば、会社組織をヒエラルキー化せず、社長まで白衣がユニフォームという斬新な取り組みを行いました。さらに、持ち株制度やフレックス制度の導入、肩書きにとらわれない持ち家推進など、先進的な取り組みを行い、社員がより良い環境で働けるよう努めました。

ソニー株式会社

盛田 昭夫

もう一人、日本で著名なNo.2として、盛田昭夫氏が挙げられます。井深大氏とともに、有名企業であるソニーを創業しました。井深氏が技術面を、盛田氏が営業面を全面的に支える体制で、世界のソニーが築かれていきました。盛田氏は一回り年上の井深氏を兄のように尊敬しつつ、理想的な二人三脚で会社を大きく育てていきました。戦後日本のものづくりの歴史は、まさにこの二人から生まれたと言っても過言ではありません。
ソニーでは、ものづくりをするエンジニアを大事に育てる社風の中、トランジスタラジオやウォークマンなど、小型で利便性に富み、人々の暮らしを楽しく変えていくヒット商品を次々と生み出していきました。また、自社を生意気な人の個性を殺さない会社として位置づけ、一人一人の社員の自由な発想を尊重しながら、人々の生活を豊かに変える製品を開発していきました。
イノベーションという言葉がふさわしいソニーにあって、常に好奇心を持ち続け、人々がやらないことに挑み続けるメッセージを社会に発信し続けたのも盛田氏でした。彼は若手が作り上げたプレイステーションにも「これだよ!」と喜んだというエピソードが残っています。盛田氏はいくつになっても子どものような心を失わない経営者でした。

Meta

シェリル・サンドバーグ

SNS分野で有名な企業であるFacebookのCOOとして、シェリル・サンドバーグはフェイスブック初の女性役員として注目を集めています。彼女は1995年にハーバード・ビジネス・スクールをトップで卒業し、MBAを取得しました。世界銀行やマッキンゼー、そして米国務長官のサポートやGoogleでの経験を積んだ後、FacebookのCOOに就任しました。サンドバーグは、Facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏によってパーティで見いだされ、COOに抜擢されました。彼女のグーグルからの転身はマスコミを賑わせましたが、10歳以上年下のザッカーバーグを支え、Facebookのスタートアップ時からの収益化に大きく貢献したとされています。
ザッカーバーグはIQとEQの両方が非常に高い希有な存在とされ、サンドバーグは女性であるがゆえの様々な偏見や差別を経験しながらも、たくましく成長し続けています。彼女は年功序列が通用しないことを認識し、キャリアのステップは単に上に昇るものではなく、ジャングルジムのように様々な方向に進んで成長していくものだと述べています。常にチャンスを掴み、自ら成長の機会を作り出すタフさを持ち続けています。

サイバーエージェント

日高 裕介

サイバーエージェント社は、働きがいのある会社として頻繁に挙げられます。ベンチャー企業としての成長を続けるため、新卒社員を社長に抜擢したり、役員を2年ごとに2人ずつ交代させるCA8制度を導入するなど、斬新な人事施策で注目を集めています。社長の藤田晋氏は、インテリジェンス社の同期生である日高氏との縁があります。入社内定者が制作する自己紹介ビデオコンペでチームを組んで優勝したことから、藤田氏は日高氏のチームワークに感銘を受けたといいます。
日高氏はもともと起業家志向もなく、仕事への意欲も強くなかったため、インテリジェンス時代の藤田氏とは正反対のタイプでした。しかし、藤田氏の誘いでサイバーエージェント社の設立メンバーとして加わることになりました。彼らはサイバーエージェントを立ち上げ、スタートアップ期の人材確保や仕事の創出、上場後の低迷期など、多くの試練を共に乗り越えてきました。
幾多の修羅場を経験してきましたが、彼らは意見の対立や衝突を経験したことがありません。常にお互いの立場を理解し、藤田氏のアイデアや考えを実行することを心がけています。彼らは良き友人であり、パートナーであり、お互いの存在を絶大に尊重し合っています。

ソフトバンク

笠井 和彦

2000年代以降、ソフトバンクの企業成長を支えた中心的な人物として、笠井和彦氏の名が挙げられます。彼はプロ野球球団ホークスの買収を率先し、球団社長に就任することでも知られています。みずほ信託銀行の会長も務めたトレーディングのプロであり、富士銀行時代には異例の出世を果たした経歴を持っています。会長退任後も多くの引き合いがありましたが、若手が多いソフトバンクの経営に積極的に参画することを決断しました。
笠井氏は経験豊富な金融のプロとして、ソフトバンクの拡大戦略を支え続けました。経営が一時的に振るわない時期もあったものの、その都度の勝ち負けを超えて、ソフトバンクの成長を継続させるための努力を続けました。2000年頃、スマホ市場に進出する前のソフトバンクは経営が不安定であり、銀行業界からの転身には反対の声もありました。
しかし、笠井氏がソフトバンクの取締役に就任したことで、同社の信用が向上しました。彼の入社後、ネットバブルが崩壊し、ソフトバンクの株価は急落しましたが、笠井氏は常に孫氏を精神的に支え、「もっと上にいきましょう」と声をかけ続けました。笠井氏の逝去に際して孫氏が述べた弔辞からは、二人の強い絆が感じられました。

まずはセミナーに参加

お問い合わせはこちら

※セミナーの参加は無料です